新婚旅行日記:1993/4/13〜4/24

<1993/4/13・夜>

引っ越しの段ボールも片づかないまま、

新婚旅行出発の日が翌日に迫ってきた。出発前日の4/13に、荷造りをしながら飛行機の時刻、空港までのバスの時刻、我が家の最寄り駅の電車の時刻 を確認する。ツアーの出発は東京なので、事前に大阪から成田空港まで移動しておかないといけない。最寄りの、JR学研都市線「忍が丘」駅の始発は5時56 分。これに乗ると、空港着は7時30分ごろになる。これでは、7時40分の伊丹発〜成田行きの全日空には間に合わないことに気づいたのが、出発前日の夕 刻・・・・・・あせる。

慌てて、空港バスの出発場所近くのホテルを予約、4/14早朝の空港バスに乗るべく、チェックインすることにする。荷造りの済んだのがかれこれ 22:00、スーツケースを転がしながら駅に向かう。家から駅までは徒歩十分弱、その上途中には坂があったりする。スーツケースを転がす音が闇のなかに響 く。近所迷惑やねぇと思いつつ、懸命にスーツケースを引きずる。夏のボーナスでは車を買おうねぇ、などと話しつつ忍ヶ丘駅到着。

4/14出発の4/24帰国。ローマからアテネにはいり、地中海の島ミコノスにステイして再びアテネ。11日間の旅程である。出発を祝してホームで 記念撮影。こうして二人の旅が始まった。

大阪第一ホテル、通称「マルビル」の名で親しまれている円筒形の名物ビル。大阪・梅田で信号待ちをする大阪市民はみな、このビルのテッペンにある電 光掲示板のニュー スで時間をつぶしたものだが、この電光掲示板も、なくなってしまって久しい。ホテル到着は23:00をまわった頃、予定通りである。翌日の空港行きバスの 朝6時台の時刻を調べて就寝、一泊だけ、それも文字どおり の素泊まりだが、背に腹は代えられぬ。

<1993/4/14>

伊丹空港:いきなりのトラブル。 全日空のカウンターに行く。チケットを出すと、

「これはローマまでのチケットはどうなさいました?」
「このチケットは全部そろっていないと使えませんよぉ」

とは、カウンターのねえちゃんの言葉。旅行会社からもらったのは何枚か綴りになったチケットの一番上。大阪〜成田だけだったのだ。

「え゛〜っ、でも残りのは成田で受け取ることになってるんですよぉ」と、

HIROKO がすかさず切り返して、無理やりスーツケースをローマまで届けさせる。持つべきものは旅慣れた妻である。

定刻の午前7:40、伊丹空港テイクオフ。座席は41のAとB、翼のすぐ後ろである。離陸時には、プロジェクターとTV画面に滑走路の様子が映し出 され、自分がパイロットになったような気分。フラップの動きが近くで見えてなかなか面白い。向きを替えるところなんかでは、小さなフラップが上下して 「なぁるほど、こんな仕掛けなんやなあ」と感心する。男の子は誰も、小さいころには運転手になりたかったものなのだ。

第二ターミナルである。最近出来ただけあって、なかなか綺麗な空港だ。われわれの乗るアリタリア航空機は、第一ターミナルから出発。バスで第一ター ミナルに移動する前に、お上りさんして第二ターミナルを見物して歩く。

ターミナル間をむすぶエアポートバスは、黄色地に緑のライン。どうにもイエローキャブみたいで、趣味が悪いよなぁなどといちゃもんをつけつつ、たっ たいま出ていったばかりのバスを見送った。次のバスは10分後である。バスの座席は先頭、運転手の後ろである。たまたま我々の後ろに座った初老のカップ ル。旦那のほうが行き先を間違ってしまって、第二ターミナルの方に来てしまったらしい。彼らの目的地は、われわれと同じ第一ターミナルの四階、Hカウン ターであるらしいことが二人の会話から察せられる。

「おまんが、先行くから、いかんのやぁ」
と、ばあさんの方が旦那を責めること、責めること・・・・・
「ほんなこつ、ゆうたかて」
と反論仕掛けるのだが、どうにも旦那の方が旗色が悪い。結局彼らは、バスが第二ターミナルから、第一ターミナルに到着するまでのあいだ、ずうっと責め合っ ていたのだった。

成田では今回のツアーのチケットとバウチャーを受け取る。旅行中はこれらとパスポートが大事としまいこむ。

アリタリア航空は、36番ゲート発。座席は43のAとB。三列席の窓際二席である。エコノミークラス席の最後尾で、後ろにはスチュワーデスの座る シートがある。三列のうち二列には二人連れで申し込んだ客を乗せ、一人の客を通路側に乗せる。このへんのルールは新幹線でも何でもおんなじなのだが、おか けで最後尾のわれわれの席の隣は空いたまま、すっかりとゆったり座らせてもらった。機内用に買ったスリッパに早々に履きかえて、リラックス。

あとは、経由地のモスクワで熊でも乗ってこないことを祈るばかりである。

イタリアの航空会社なので、機内では最初がイタリア語、次いで英語、フランス語、最後に日本語でアナウンスが告げられる。機長からのメッセージが、 すべて日本語訳されるわけではないので、イタリア語と英語だけの時もけっこうあって、そんな時には英語のアナウンスを聞くとホッっとしてしまう。

定刻にテイクオフ。まずは出てくるドリンクサービス

「ワイン、ビア?」
「ワイン」

機内誌の最終ページに、機内サービスの価格が書いてある。ビールとワインはFREE OF CHARGEとのこと。バーボンはフォアローゼズしかな いし、後はスコッチだけなのでちと残念。機内販売するブランド物の価格表もついている。飲みおえたころに、そろそろ後ろのほうからいい香りがしてくる。飲 み物・食べ物のサービスは後部座席からの順のようだ。ただ、においはすれども、食べ物自体はなかなかこない。蛇の生殺し状態で昼食の来るのを待つ。

ムースは量もたっぷりで、ワインもとりあえず二人で三本飲んで、心地よい気持ちになる。

食後に飲み物を持ってきてくれる。最初は「コフィー、コフィー」、次に「イングリッシュ・ティー、イングリッシュ・ティー」と言いながらスチュワー デスのおね〜さんが来るもので、なんでわざわざ「イングリッシュ」なんだろ〜と思ってたら、最後に「ジャパニーズ・ティー、ジャパニーズ・ティー」という のがやって来た。安易に最初に来たコーヒーを頼んでしまった身の不運を嘆く。食後は映画「リーサルウェポン」。

少々遅れて到着、出発までは約50分の待ち合わせということだ。翼には霜か氷がこびりついていて、いかにも寒そうなモスクワの気候を思わせる。みん な外の 様子が気になるのか、非常口の窓を覗きにきてはスチュワーデスに「プリーズ・シッダウン」とたしなめられている。

当初のアナウンスでは、空港ロビーに降りられるかもしれないということだったのだが、出発までの時間があまりないということで、機内待機ということ になる。せっかくのロシアなのだから、せめて空港くらいは見てみたかったものだ。

モスクワからローマまでは、あと4時間というところ。あと一息のところまで来ているのだから、一気に飛んでしまえばいいのに、というのはシロウト考 えなんだろ〜が、かれこれ10時間以上も機内暮らしを強いられていると、お尻は痛いし、足はむくんでくるし、そろそろ地面の上が恋しくなってくる。これで スリッパじゃなくって靴のままだったら、疲れも倍増だったかもしれない。ほぼ予定通りローマ到着。

さて、ここローマは、レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港。日本と違うことで、最も驚くのは空港警備の警官がサブマシンガンをぶらさげていること。安全と水はタダという国から来た人間には、なかなかショッキングな光景である。

空港の税関を出たところには、今回のツアー会社「イタリア・ツアー」社のデスクがある。スーツケースが中々出てこなかったため、デスクに着いたのは 我々が最後。周りにはフランス語、英語がとびかって、すっかり国際観光都市の気分である。ここからはバスでローマ市内の各ホテルまでお送りします、という 段取りだ。

ローマ市内まではけっこう距離があり、我々一行を乗せたマイクロバスは高速道路を快調に飛ばしていく。でも、その横をビュンビュン追抜いていく車も あったりして・・・・・・・・いったい何キロで走っているのだろう。昼間だったらまわりは緑の中なのだろうが、夜の九時とあっては景色も見えず、ひたすら ホテルをめざすだけである。気分はすっかりベッドの中、といったとこ。市内に近づくにつれ、しだいに遺跡とおぼしき建物が目につきだしてくる。街路樹の背 がやたら高く三階の屋根くらいまである。右を見ても左を見ても遺跡だらけの景色が特徴的。遺跡の中に町がうずもれている、といってもいいくらいだ。町のあ ちこちに貼ってある「Si」と「Non」とのポスターは、EC統合に対するものなのだろう。

バスがクイリナーレ・ホテルに着く。このバスに乗っている客はみんな私達と同じホテルかと思っていたら、ここで降りるのは我々だけ。あとはそれぞれ のホテルに客をおくりとどけるらしい。ここクイリナーレ・ホテルは、共和国広場(ピッツァ・デラ・レピュブリカ)の近く。ローマ三越の近所、という言い方 もあったりする(^^;。市内の中心地に位置するので、交通の便はなかなか良い。レセプションでバウチャーを提示して、チェックイン。古いホテルらしい が、ベッドメイクはキチンとできているし、バス・トイレの設備は立派である。テレビは回転チャンネル式で、日本国内からすると旧式の感をまぬがれないが、 ふたつ並べたベッドはゆったりと広い。あとは、ギリシァのホテルでも同じだったが、バスタオルが大きくて気分の良いのが嬉しい。バスを使った後に、ほとん ど一畳くらいあるバスタオルにくるまるのは、中々気分のよいものだ。

新婚旅行初日、ローマ到着は夜。移動に疲れた身体には、夜の到着でそのままおやすみという日程がありがたい。明日はローマ市内観光である。

<1993/4/15>

10:00に指定のバスツアーの出発場所に集合。APPIANE LINE(アピアンライン)社のパノラマツアーにてローマ見物。ローマ市内の名所をバスから見学するツアーだ。日本からのツアー専用のバスというわけでは なく、ローマ現地の観光バスに乗るので、渡された地図を頼りに集合場所を探すことになる。

バスから降りて見るのは、ジャニコロの丘とサンピエトロ寺院。前者はローマ市内を一望に見下ろすパノラマが楽しめるところ。サンピエトロは、世界最 小の国バチカン市国の象徴である。そのほかにもローマ観光の下見にはもってこいのツアーで、市内の名所を一回りしてくれる。これで目星を付けておいて、後 で自分の見たいところをゆっくりと回るのが良いのだろう。

ツアーバスはアピアンライン社のオフィスから出発する。ホテルからは歩いて5分かそこらということなのだが、なにせ道のいりくんだ街なのでオフィス を見つけるのが一苦労。オフィスより先にアピアンラインとボディー書いたバスをみつけたのだが、そこからオフィスをみつけるまでに手間取った。通りの名前 と番地は分かっているのだが、建物にふってある番地がひとつおきなのである。

どうやら道の右側は偶数番地、反対側が奇数番地になっているらしいことに気づき、オフィスにたどり着いたのは発車時刻ギリギリ。バウチャーを出す と、さっき見かけたバスを指さして「あれに乗れ」と一言いうばかり。こんなことなら、とっとと乗っときゃよかったとブツブツ言いつつバスに乗車する。

バスの中には地元イタリア人を始め、アメリカ、フランス、ドイツなどなどの各国の観光客が乗っている。ツアーの間、名所旧跡の説明は小型のFM受信 機を使ってイアホンで聞く。六か国語が準備されていて、当然のように日本語ガイドもある。この多国語メニューというのはレストランに行っても同じで、イタ リア語、英語、ドイツ語、フランス語、ポルトガル語、そして日本語と、多種多様な言葉でメニューが記されている。ガイドもイタリア語だけでなく複数の言葉 をしゃべるのが当然のようで、地つづきで様々な国がつながっているヨーロッパならではというか、観光都市ローマならではというのか、これには感心しきり だった。

このバスにも日本人のツアー観光客は多く、それを案内する現地の日本人添乗員らしきおっちゃんまで乗っている。観光ポイントに来るたびに、このおっ ちゃんが団体さんに色々と説明してくれるので、イアホンから聞こえる解説とおっちゃんの解説とで、なかなか詳しい観光案内をきかせてもらった。

さて、最初の(といっても二ヵ所しかないのだが)の観光ポイント・ジャニコロの丘は、ローマ市内を見渡せる所。

六甲山から神戸を見下ろすがごとく、市内の遺跡がひとめでわかる。ローマをバックに写真を撮るにはもってこいで、記念写真を売りつけるおっちゃんこ そいないものの、観光バスの乗客全員が撮影ポイントを争う。「We have 10 minutes」というガイドのおね〜さんの言葉など、誰も守ろうとはしない。私も慣れない手付きでビデオカメラをまわしだした。

しかし、まあこのビデオカメラというヤツ、慣れるまではなかなか面倒なもの。ここに来るまでは、ホテルの室内をグルリと撮ってみただけ、それにカメ ラをかかえて対象物に迫っていくというのは、自分のデリカシーが許さないものがあって、ついついちょっと撮ってはやめてしまう。カメラマンという人種はな んとも、ずうずうしい商売なのだなと思ったシャイな新郎であった。

ジャニコロの丘を下ると次のポイントは、バチカン市国のシンボル「サンピエトロ寺院」である。

ジャニコロの丘のあたりは、ちょっとした高級住宅街である。まがりくねった道の両側にはアパートがたち並ぶ。どの建物の窓にも花や緑がいっぱいであ る。遺跡に埋もれたローマ市内とはちょっと違ってモダンなたたずまい、「山手」といった感じである。

ジャニコロの丘を下って、再びローマ市内に入る。目指すはサンピエトロ寺院、バチカン市国の象徴だ。

ガイドのおね〜さん曰く
「サンピエトロでは、見学の前にみやげ物がもらえます」
なんだそ〜だ。

そう言ったガイドのおね〜さんはバスを降るなり、サンピエトロ寺院の前の広場をスタスタと横切っていった。残された我々お上りさんの団体は、唖然と しているばかり、誰もかれもが「ホワッツ ハップン?」状態である。きっと先に行ってお店となにやら交渉をしているんだろう。

寺院の前はロータリーになっていて、その真ん中は車が通らない。皆なんとなく固まって、そこで待つこと15分から20分。ガイドのおね〜さんはいっ こうに帰ってこない。さすがに皆がザワザワし始める。現地添乗員のおぢさんに率いられた日本人の団体は、はやばやと見切りをつけてサンピエトロの見物に 行ってしまった。

30分経過。

素直に待ってる方も待ってるほうだが、なんといっても勝手のわからない初めての街、ひたすら待つ。ピッツアのトラック屋台を見物したり、モザイク アートのみやげ物屋を覗いたりして、そこそこ時間つぶしにはなるのだが、ここに来たのはサンピエトロの大聖堂を見るためである。ロータリーを歩みさる騎馬 警官を見るためではない(^^;。

45分経過。

結局、みんなあきらめてバスにもどる。「many Japanese were lost・・・・・」などと言ってるおっちゃんもいる。そりゃそうだ、10人近くいた日本人の団体はとっくにサンピエトロのの見物を終えたところだろう。 バスの運転手はなにやら事務所と無線でオハナシ中であるが、我々お客さんにはなんの説明もない。

結局、何もなかったようにバスはツアーを続ける。メイン(になるハズだった)のサンピエトロ寺院を過ぎると、後は出発点に向かって戻るだけである。 カテドラルを見られなかったのは残念だったけど、ローマ市内の観光ポイントはつかめた。狭い街なので、あとは地図を片手にぶらぶらと歩いて見てまわれるだろう。市内観光の下見と思って納得することにしよう。

しかし、事務所に戻ったらガイドのおね〜ちゃんが素知らぬ顔して次のツアーの準備をしていたのにはびっくりである。

パノラマツアーで主要な観光地にあたりをつけたところで、地図を片手にローマ市内の見物に出発することにする。目指すはローマ観光の定番、トレビの 泉とスペイン広場である。まず目指すのは「スペイン広場」、オードリーヘップバーンの映画「ローマの休日」でお馴染みの場所である。アイスクリームを食べながら階段をかけお りるシーンは、有名なショットである。

バスを降りた所からスペイン広場までは1km弱、観光案内図を手に歩く。バルベリーニ通りからシスティーナ通りを抜けると、サンティ・トリニタ・ ディ・モンティ教会の裏に出る。下を見下ろすとそこがスペイン広場だ。似顔絵書きが何人かカンバスを広げて、観光客に呼び掛けている。カメラの望遠をつ かって覗きこむと、なかなかの出来ではある。一枚1,000円見当といったとこ。

さて、スペイン広場の件の階段は観光客でごったがえしてして、とうてい映画の様に走り降りられる状況ではない。空いていればアイスクリーム片手にう ろつくところであるが、なかなか観光地というものはイメージ通りにはいかない物である。

スペイン広場の前には幾つかの通りがあって、有名ブランドのお店や飲食店が立ち並ぶ。日本人観光客はここでもカモなのか、革製品の店の前を通ると日 本語の看板とともに「やすいですよ」「いかがですか」の声が掛かる。革製品の購入はギリシャで予定しているので、早々に通り過ぎた。

通りを行ったり来たり、また横道もいろいろ覗いて見たりしたところでそろそろ1時。昼ご飯時である。ローマのお食事らしく、パスタ料理店を探して 入った。店の名は「OTELLO alla CONDORIA」。裏通りの脇道を入ったような所にあった店である。路地のようなエントランスをはいると、今日のお薦め料理がイタリア語と英語で書いて ある。

入ってテーブルに付くと、「ジャパニーズ・メニュー?、イングリッシュ・メニュー?」と聞いてくれる。なるほど世界に冠たる観光都市、こと観光客へ のサービスは徹底していると HIROKOと二人で感心する。さっそく日本語で書かれたメニューでオーダーを出したのだが、パスタの注文をした途端に「Non」の返事。思わず「ヘッ?!」と思って聞き直すと、そのメニューは今日はやっていないとのこと。要するに日替わりメニューであって、全部をやっているわけでは ないのだった。

ともあれ、この日の食事はイタリアに来て最初のイタリア料理、

昼間っからワインを飲んだくれていられるのも、旅行中ならではである。

スペイン広場からはほんの4〜500mしか離れていない。ほんとに街の中が名所だらけといった印象だ。トレビの泉は道路から一段低くなった所にあっ て、泉の後ろ部分は数々の彫刻で飾られている。泉の縁の所に座ってコインを投げ入れるのだが、なかなか座るだけの場所が空かず、ちょっと空いたと思ったら すかさず座り込む人がいたりして、さながらラッシュ時の座席の奪いあいのようである。

コインの投げかたにはルールがあって、

その1    左手で右の肩越しに投げる
その2    一個で、トレビの泉に再び来ることが出来る
            二個で、二人は結ばれる
            三個では、、、、、二人は目出度く離婚出来るというご利益があるそうである。

まあ、本当にご利益があるのかどうかは定かでないが、新婚旅行のカップルとしては、冗談交じりで三個のコインをなげたりしないように注意すべきとこ ろ。

ローマ観光の最後は、忘れちゃいけないコロッセオである。スペイン広場やトレビの泉からすると、ホテルを挟んでちょうど反対側になり、コルソ、 フォーリ・インペリアリの二つの大通りを通って行く。午後からはあちこちと歩きづめだったので、途中の喫茶店で一休み。店内は「喫茶」というより「スタン ドバー」といったイメージである。私はコーク、HIROKOはフレッシュオレンジジュースをオーダー。コークの方は、レモンスライスをコップの縁に引っ掛 けたのに、缶コーラを注ぐだけだったのだが、ジュースの方はなかなか手間取っている。

されど、かくして出て来たジュースはなかなかの満足物だった。グラスに並々と注がれたジュースは、いかにもオレンジをギュウギュウと絞りましたとい う感じの飲み物。ちょっと繊維質が浮いて入るものの(^^;、天然果汁100%のおいしさ。

ただ残念だったのは、グラスの底に砂糖がドドッと沈んでいたこと。なにやら「甘い物=おいしいもの」という図式があるようで、私達の感覚からする と、せっかくのオレンジ100%ジュースなんだから、何も入れずに飲めればよかったのになぁ、というところである。さあ、一休みしたところで、コロッセオ は目の前である。

コロッセオは闘技場。すっかり観光地になっているが、この場所で戦った戦士と、戦わされた獣の檻が残っている。いまだに人骨や獣の骨がころがってい るというのがちょっと 無気味である。コロッセオに着いたのはかれこれ夕刻、かくべつ入場料をとられるわけでもなく、勝手に見てまわるだけなのに、見学時刻には18:00までと いう制限がある。

コロッセオに入る前にふと横を見て、凱旋門のミニチュアがあるなと思っていたら、これを見本にしてパリの凱旋門が作られたのだそ〜な。まあ、年代か らしたらローマの方が古いのは一目瞭然だが、すっかりパリの方が有名になっているので、こっちがパリのミニチュアのような印象をもってしまう。

その凱旋門の近くで HIROKO と二人、それぞれにTシャツを購入。私は太陽の顔がデカデカとプリントされた柄にローマの文字の入ったのにしたのだが、日本に帰ってから大阪は難波の地下 鉄の駅で、これと同じ柄で「オーストラリア」の文字の入ったTシャツを見た時はちょっとショックだった・・・・・・(^^;。ともあれ、コロッセオ入場。

長年の風雨にさらされてかなり傷んではいるものの、規模の大きさには改めて驚かされる。これが寺院かなんかだったら信仰心の表われというところだ が、皇帝の権威を示さんがため、戦いを見物せんがための建築物だというところは、どう考えても悪趣味としか感じられない。ま、そうはいってもローマ観光の 要所。ここを見ておかないとローマに来た気がしないので、ビデオを構えつつ HIROKO の姿を追っかけて歩く。入場口から階段をあがって二階席だか三階席だかにあたるフロアに出る。

意外だったのは見通しがあまりよくなかったのと、闘技場の広さがそんなになかったこと。サッカーグラウンドくらいの広場を見下ろすのかと思っていた ら、いいとこテニスコートくらいの広場。あれじゃあ、上の方の見物客にはなにがなんやらわからなかったんだろうなぁ。

一番上まで上がって見たかった所だが、最上階の席に上がる階段もみつけられなかったので、そろそろホテルに帰還。帰り道に「サン・ピエトロ・イン・ ヴィンコリ教会」に立ち寄る。ガイドブックによると、ミケランジェロの三大彫刻のひとつ「モーゼ像」がある。聖ペテロが布教中に迫害され、鎖につながれて いた牢獄とあわせ、いわゆる穴場の観光ポイントらしい。

広い教会内部の右奥のモーゼ像は、ライトアップもされていて立派な姿。ギリシャ神話をもとにした天井画も、天井全面に描かれている。ミケランジェロ の三大彫刻というほどなので神々しいお姿といいたいところだが、 HIROKO にもわたしにも、よくあるギリシャ彫刻の一つくらいにしか感じられない。信仰心の問題なのか、審美眼に欠けるのか、はたしてどっちなんだろう。

ホテル近くのレストランで夕食。グラタン、スパゲティ、子牛のカツレツ、リゾットを注文したのだが、どれもこれもがチーズがたっぷりかかったシロモ ノで、いささか胃にこたえる。なにせどれもこれもチーズの味だけしかしないんだものなぁ(^^;。

胃薬を飲んでおとなしく眠ったローマの第二夜であった。

<1993/4/16>

昨日までのローマ市内観光には正直言って食傷気味。ローマという街は遺跡ととも暮らしているような街で、街のどこをみても「これでもかぁっ!」とば かりに遺跡が目にはいる。それも、ローマンデザインでお馴染みのゴテゴテかざりのシロモノなので、水墨画や青磁などのアッサリサッパリが好きな私には、ど うも相性が悪い。なおかつ街自体が埃をかぶりっぱなしで汚い。遺跡にも落書きが多いし、どの車のボンネットにもイタズラ書きができるくらいに埃が積もって いる。引っ越しで荷物を動かしたあとの私の部屋のようである。いわゆる「埃のチャンピオン」の街だ。

明日からはギリシャに入るので、今日がイタリア旅行前半の最終日、オプショナルツアーでナポリとポンペイに行く。「ナポリを見て死ね」などといわれ るくらい美しい町なんだそ〜だが、たかが町を見た程度で死んでしまっては、たまったものではない。こちとらは新婚さんなのである。

今回のバスツアーはツアー会社集合なのではなく、お客の泊まっているホテルまで出迎えくれる「ピックアップサービス」付きである。まあ、いくつかの ホテルを回ることでもあり、イタリアのことなので、時間通りに来るとは思っていなかったが予想通りの遅刻、遅刻。6:45にピックアップの予定が、バスが ホテルに来たのは7:30。二人でロビーにたたずむこと45分の後であった。

やたらと元気の良いおね〜さん二人がホテルのロビーに駆け込んで来た。遅れているのに全く悪びれることなく「Are you Mr.SHINKI?」などと聞いて来るところは、ひたすら愛想が良いというか、国民性というか・・・・・・・・である。

さて、やっと出発したバスは一路ナポリへ、ローマから南へ約200キロの距離である。郊外の高速道路をビュンビュンと飛ばすバスの中で、ガイドのリ タ嬢がいろいろと説明してくれる。彼女も四か国語を使い分けての案内なので、うっかりしていると英語の部を聞きのがしてしまう。まあ、聞き取れたとしても 半分以上は意味不明なのだが、多少なりとも耳に馴染みのある言葉を聞けたほうが、安心感があるというものである。

ローマ市内はなんだか殺伐としていて暗いムードだったが、郊外は背の高い木々や牧草も多く、緑豊かだ。放し飼いになっている牛や馬もそこここに見ら れて、のどかな景色である。この一帯は、火山成の土地で牧畜には適している。飲み物は、フェスカテ・ワインという白ワインが名物なんだそうで、これを持っ てピクニックに行くのが休日のすごし方らしい。車窓から見えるブドウはまだまだ小さかったが、10月〜11月には旨いワインが出来上がるそうである。

南に向かうに従って空模様がだんだんと暗くなってくる。ぼちぼちナポリに着こうという頃には、降ったりやんだりの天気。ホ゜ツポツと雨粒が付く車窓 からナポリの町並みを見物する。途中、高台からナポリの港と町を見下ろすポイントがあったが、これが「見て、死ね」っていうほどのもんかねぇ、というのが 率直な感想、といっておこう。

ナポリ市内を一通り回って港でトイレ休憩、一人500リラの使用料だ。単に用足しだけかと思っていたら、しっかり歯磨き、洗顔までこなしてしまうおね〜さんが居たのには驚いた。あの環境で歯磨きをやってのける女性は日本にはいないだろうな。

港の売店でジュースとお菓子を買う。お菓子のほうは砂糖たっぷりの甘いもので少々辟易したが、ジュースはフレッシュ。ナポリの港に限らず、ローマ市内で飲んだジュースも缶や瓶入りのをグラスに注いだだけのものではなく、ちゃんと果物を絞って作っている。こういう飲み物が当たり前に出て来るところは、「食」という基本的なところで豊かな国なんだなと思わせてくれる。

ナポリの港でガイドが交代。今度はコートをキチッと着込んだおじさんである。このツアーの後半、ポンペイの遺跡への道をたどる。雨はいっこうに降り やむ気配がない。

ポンペイはべスビオ火山に埋もれた遺跡。溶岩が固まった土地を切り開いて道路が走っているので、真っ黒に冷えて固まった溶岩が左右に見える。ポンペ イに着いたら昼食というスケジュールになっているので、ガイドがやたらとマカロニの話をする。街の説明をするのに「キャピタル・オブ・マカロニ」と何度も 自慢するのが、お国自慢で微笑ましいというか、しつこいというかだ。

雨の中、ポンペイに到着。カメオが名物ということで、展示・製造・販売がセットになった見学場に入る。フランス語ガイドと英語ガイドの二手に分かれ て見学。日本人とみると「もしもし、カメオ」という駄洒落をとばすのが、ここの商売の習いとなっているらしい。あまりに馬鹿馬鹿しいのだが、思わずのって 「Your pronounciation very good japaneseね」などと相づちをうってしまう私であった(^^;。

カメオというと、ブローチなどで女性の横顔を彫っている物がよく売られているが、やはり腕の上手下手はあるもので、「先生の彫ったものと、初心者の 彫ったもの」とを見せてもらうと、ハッキリ違いがわかる。顔がなんとなく偏平だったり、表情がかたかったりする。その分、うまく彫ってあるなあと思う物 は、それなりにお高い値段で、おいそれと買って帰れるものじゃなかった。

見学を終えて昼食だ。「キャピタル・オブ・マカロニ」の味をみせてもらうとしよう。

ツアー客用には、食堂に席が準備されていてテーブルは六人掛け。日本人同士はだいたい固まって座っているのだが、 HIROKOと私は二組のイギリス人カップルと同じ席になった。結婚三十年記念で旅行に来たという一方の夫婦は、旦那のほうはみるからに研究者風で寡黙な人だが、奥さんの方はなかなかの気遣い。六人がけのテーブルで、四人の英語圏人に我々が囲まれて、いづらい気分でいると思ったのか、何かと話しかけてくれる。

前菜はマカロニ、メインディッシュは魚か肉を選択できる。港の町ナポリだからと思って魚を注文したのだが、これが大失敗。白身の魚をブツ切りにしてソテーしただけの料理で、味気ないことこの上ない。隣の席のイギリスのご婦人もさすがにこれはイマイチと思ったのだろう、「日本でもこんな料理があるのですか」と質問してきた。すかさずHIROKOが「NO,This is no good」と相づちを打つ。

食事の途中に、ギターを抱えたミニミニ楽団がテーブルのそばにやって来て、地元の唄を唄ってくれる。というか、帽子にチップを入れるまでは無理矢理に唄いつづけてくれる。最後の木イチゴのアイスクリームはおいしかったが、総体に料理の出来はイマイチ、イマニといったとこ。ま、そ〜いえば日本の観光地ツアーバスでも、さしてうまくもない食堂と観光ツアーと土産物屋がセットになっている物だわ、となんとなく納得する。

雨はすっかり上がって、いい天気になっている。食後は、ポンペイの遺跡見学、ガイドのおじさんが折り畳み傘を目印に先導する。所々で立ち止まってフランス語と英語での解説をしてくれる。とにかく広い遺跡で、歩いてまわっていると何時間かかるか分かったものではない。市場、パン屋の窯、アポロンの神殿の跡、東西南北に走る道はまっすぐに伸びており、水道のパイプもしっかりとその跡を残している。

灰に埋もれていた遺跡だけに、フレスコの絵が色あざやかに残っており、モザイクのタイル飾りもきれいに形を残している。中でも見ものだったのは浴場で、冷水、温水、ぬるま湯と三種類の湯が準備されており、男性、女性のそれぞれの区別もきちんとされている。浴場は体育場の隣に設置されていて、さながら現在のスポーツクラブのよう。反面、べスビオの噴火の時にガスにまかれて倒れた人間が、そのままの姿で灰に埋もれているのがリアルに残っていたりもする。

かれこれ一時間くらいの見学の後、土産物を見物しつつ休憩。出口でポンペイのガイドブックを買う、日本語のガイドブックは2000円也。あとは一路ローマへ戻るだけである。帰りの道ではすっかり晴れ上がり、夕日がまぶしいくらい。遺跡を歩き疲れて、ホテルまではぐっすり眠り込む。

いったんホテルに荷物を置いてローマ三越でお買い物。やはり、お土産を買うには便利である。スカーフ、ネクタイなどお決まりのもの。旅行にきて土産にあまり気を使うのもばかばかしいので、こんなとこで良しとする。夕食はホテルのレストランで済ませて午後10時就寝。明日はギリシヤ・アテネだ。

<1993/4/17>

ホテルのピックアップは7:30の予定。毎度のごとく遅れることだろうと決め込んでいたら、今日は珍しく時間通りにピックアップのマイクロバスが来た。ものの30分もかからずに空港到着、テイクオフまではまだ2時間ばかりある。デューティーフリーでお土産を買って時間をつぶす。

アリタリアAZ480便は予定通り10:00発、アテネ空港までは約二時間のフライト。これまた遅れもせずに到着した。バゲッジクレームのところで台車を貸し出しているのだが、どれもギリシャの地酒「メタクサ」や「ウゾ」の宣伝が描かれている。ロビーの外を眺めると装甲車が停まっていて、ガードマンなのか警察官なのかしらないが、軽機関銃を構えた制服の連中が立っている。ローマでも機関銃を持ったガードは居たが、装甲車まではなかったぞ。

空と海の青、白い雲と白い壁の家々のイメージの地中海の国ギリシャは、けっこう物騒なのかもしれないと思い直す。

ロビーでツアー社のアシスタント・出原さんと会う。とりあえず両替しないと食べるにも観光するにも始まらないので、空港の銀行で30,000円両替。ギリシャの通貨ドラクマは日本円からの両替は出来るが、逆に日本円に戻すことはできない。必要都度ドラクマに替えるか、カードで買い物をすることにな る。為替レートはざっと、2ドラクマ=1円というところ。ドラクマ表示の価格を半分にすると日本円、という計算だ。

ホテルへ向かう車の中で出原さんが、ギリシャの概要説明をしてくれる。治安という点ではローマなどとは比べ物にならないくらい安全とのこと。たしかに街の雰囲気もおだやかである。タクシーも安心して乗れるようだが、なかには吹っ掛けてくる運転手もいるとのことなので利用する前にちゃんと運賃を確認し ておくのが必要らしい。

ホテルはグランド・ブルターニュ。ミシグマ・バカンス社というこのツアー会社では、いつも利用しているホテルらしく、なかなかの豪華版だ。アテネの市内どまんなかで目抜き通りに面している。さしずめ、銀座通りに面して帝国ホテルが建っている、といった雰囲気だ。ロビーは緑を基調にした大理石でつくら れ、ひろびろ&ゴージャスである。

ロビーでギリシャ国内でのツアーの概要説明を聞き、アテネ〜ミコノス往復の航空券・乗船券を受け取る。今日4/17はアテネ、4/18〜20は地中海の島ミコノス、4/21〜22は再びアテネ、そして4/23早朝にローマへ戻り、ミラノを経由して帰国という旅程。特にまんなか三日間のミコノス島は今回の主な目的地なので、楽しみである。トーマス・マックナイトの絵の通りに風車と白い壁の家々の広がる風景を見ることが出来るだろうか。

チェックインを終えて部屋で一休みした後、街へでかける。アクロポリスの丘を始めとする市内の有名観光地については、ミコノスから帰った後に半日観光ツアーもあるのでそれに任せるとして、プラカ地区を散策する。

プラカというのは、みやげもの屋と食べ物屋がズラリと並ぶ旧市街地の一帯。なんとなく、門前町の参道に並ぶお土産やさん通りといった感じがする。とてもフランクな店が多く、ひやかして歩くにはもってこいだし、ギリシャの名物の革製品、絵皿、カーペット、海綿、陶器などを売る店が林立している。

なかでも革製品は、鞄、靴を筆頭に財布、ベルトなどがとにかく安い。鞄は、ショルダーにしろ、手提げにしろ四、五千円程度で入手出来る。ポシェットや札入れにいたっては、五百円、六百円の値段なので、おみやげとして買い込んで配ってしまうにはもってこいである。Tシャツなんかを買うよりははるかに安くつく。

革製品の次にギリシャ名物なのが海綿。何でこれが名産品になるのかは分からないが、プラカの通りでも、海綿だけを専門に売る「海綿屋さん」がけっこうある。巨大なブドウのごとく房になって釣り下げられた海綿が、店頭に売られている。こっちは海綿ひとつが300円かそこらの値段がついており、小さめのポシェットとさしてかわらない価格なのが、観光客たる私達にはなんとなく不思議に感じられる。

プラカをざっと見物してホテルに戻り、ちょっとお洒落に着替える。今宵のディナーはミクロ・リマノの港のシーフードレストラン、その後はアクロポリスの丘の麓のカフェで、パルテノン神殿を見ながらデザートという算段である。空港に迎えに来ていたタクシーが、ホテルまでピックアップに来てくれた。この後アテネにいる間は、ずっと我々の送り迎えをしてくれる。

ミクロ・リマノまでの道すがら、運転手さんが左右の景色を指差しながら、かたことの英語で市内の紹介をしてくれる。右手を指差して「フットボールステーディアム」、左手を指差して「バァスケトボール・ステーディアム」。首を左右に振りながら、ふむふむとうなずく二人。

レストラン「エルグレコ」はミクロ・リマノの港に面した所。ロブスター・ディナーというふれこみだったが、そんなに気取って着飾って行くような店ではなく、気軽にシーフードを食べにいける雰囲気だ。ロブスターのグリル、小エビ・イカ・小魚のフライは簡単な料理だが、素材の新鮮さで売っている。ナポリよりは数段上である。

ここで初めて食べたのは、タラモサラダとザジキ。タラモサラダというのは、「タラモ」じなくって「タラコ」サラダじゃないの、と思わせるようなピンク色のペースト。ジャガイモをふかしてつぶしたものに、タラコの潰したのが入ってペースト状に仕上がっている。ピンク色のポテトサラダと言ったら、一番近い感じだろう。これだけを食べてもいいが、パンにぬって食べるのが普通らしい。ザジキというのもペーストでパンに塗るのだが、細かく刻んだピクルス類をヨーグルトに混ぜてあるもの。ヨーグルトといっても割と塩味が効いていて、ナチュラルチーズも混ざっているような気がする。この二つはパンにはつきもので、この後色々なレストランでパンに着けて食べた。

さて、私達を送って来た運転手のおっちゃんは、おなじレストランで食事をしている。見回すと、同じ様に観光客を送って来たとおぼしき人達がお食事中。我々の食事中どこで待っているのかな、と思っていたらこういう仕組みだったわけである。

食事を終えるとすっかり日が落ちて、あたりは暗い。帰りはアクロポリスの丘の麓「カフェ・ディオニソス」に立ち寄る。残念ながらテーブルからパルテノン神殿を望むのは叶わなかったが、カフェを出た後でライトアップされた神殿を見ることが出来た。一時間ごとに赤や緑のライトがパルテノン神殿にあたり、なかなか幻想的な姿を見せている。ちょうど四月から五月にかけてがライトアップのシーズンということで、ちょっとラッキーな気分。

カフェをバックに二人並んで写真を撮ってもらい、ホテルに戻る。十一時就寝。私としては今回のツアーで唯一、きっちりとスーツ姿ですごした一日であった。

<1993/4/18>
今日は、アテネからミコノスへの船旅。6:45にタクシーが迎えにくるというので、今日も急いで身支度をしてチェックアウト。ホテル一階のレストラン 「GB−Corner」で朝食。ブッフェスタイルになっていて、

を食べる。チーズはプロセス、ナチュラルのいずれもあるし、四種類の中から自分で好きな量だけ切って食べられる。HIROKOは、ヨーグルトの代わ りにシリアル。パンにクッキー。パンはゴマ風味で香ばしい。

満腹になってそろそろ行こうとするころに、ウエイターが寄ってきて「2400ドラクマです」と言う。ホテルの朝食だから宿泊料金に含まれているのか と思っていたら、どうも入っているのはコンチネンタルスタイルの朝食のみらしい。このへんの区切りはなんともしっかりしている。ま、そうはいっても 2400ドラクマというと約1200円。一人600円の朝ごはんと、やはり物価は安い。日本だったらモーニングサービスで、卵とトーストに、ミニサラダく らいのとこだから、これだけたっぷりとした朝食でこの価格なら満足としようか。まあミコノスから帰ったらまたこのホテルに泊まることだし、その時には チェックアウト前にとことん食べることにしようと算段してホテルを出る。

GB−cornerをでると、すでにタクシーが来ていてスーツケースを手にして我々を待っていた。「ちゃんとあたしたちのを覚えているんやねぇ」と HIROKOが感心している。

昨日と同じタクシーで、ピレウスの港へ。何隻かの船が停泊しているが、いずれも大きな船ばかりで豪華な気分になる。われわれの乗るのは「NAIAS −2」という船である。タクシーから荷物を降ろして船へ、六時間の船旅の始まりである。

船の急な階段をスーツケースをかかえてファーストクラスのキャビンへ。一等キャビンは二室でスモーキングとノンスモーキングに分かれている。8時出 航のところを7時すぎに到着しているので、キャビンにはまだ誰も来ていない。広々としたノンスモーキングの一角に荷物を広げて陣取る。ブルーを基調にした キャビンはエーゲ海のイメージなのだろう。なんだか、横におね〜さんが座ってサービスでも始めそうな気分だ。

通路を挟んで向かいにあるスモーキングの一等キャビンには、日本人の家族連れが入ったようだ。よく見ると、昨日アテネのプラカ地区でスーツケースを 買っていた人々である。自分たちも含めて、相変わらず日本人観光客の多いことよと思う。

ノンスモーキングのキャビンには、われわれの他にご婦人が一人乗っているばかり。デッキに出てエーゲの風にあたり、写真撮影。風はなかなか冷たく、 日陰側のデッキにじっと立っているにはジャケットがかかせない。船が動きだした。NIFTY-Serve のロゴマーク入りブルゾンでカメラにおさまった。ちょっと曇り加減なのが残念だが、ピレウスの港を振り返ると後ろに小高い丘を従えたアテネの町並みが見え る。NAIAS-2 が静かに進む。

ミコノス島までは、シロス島、ティロス島を経て六時間の船旅である。

船室は一等、二等、三等と厳格に区別されており、特に一等キャビンに上がる階段にはロープが張ってあって、いちいちチケットを見せなければならな い。十人ちょっとしか乗っていない一等客なんだから「一度顔を見たら覚えておけよ」と思うのだが、彼らから見ると日本人の顔はどれも同じに見えるのだろう か。この船内にも、イースターの飾りとおぼしきものがあちこちにぶら下がっている。

10時。雲も晴れて、キャビンから見える海はいかにもエーゲ海らしく、深く碧い。その青さも「青」ではなく、まさに紺碧の「碧」をあてて「あおい」 とフリガナを振ってしまいたい気分になる。

エーゲ海はヨーロッパとアフリカに囲まれて、地図で見た感じでは瀬戸内海の親分というところだが、なんといっても広さが違う。青い海に白い波頭が見 え、船がゆらぁり、ふらぁりと揺れる。紀勢本線で特急「くろしお」がカーブを通過するときの気分のようだ。いまごろになって酔い止めの薬を飲んでみたりす る。薬が効くまでは三十分程度か、それまで眠って船酔いをやりすごすことにしよう。

12時ちょうどに汽笛が鳴った。シロス島到着だ。いままでキャビンにひきこもっていたいた乗客がいっせいに駆けだして、エーゲ海に浮かぶシロスの島 を写真に撮ろうとしている。ずっとキャビンで横になっていたHIROKOも、カメラをもって駆けだした。ミコノスのような真っ白の壁というわけではないの だが、寄り添って立ち並ぶ石作りの壁の家々が、地中海の海の紺碧に映えて、まさに観光パンフレットのイメージ通り。岸壁に近づく船のスクリューが海水をあ わだて、紺碧の海と白い泡との間の水をブルーグリーンに見せる。

島の僧侶なのだろうか、ローブのゆったりとした黒い服と帽子を身につけ、豊かな髭姿で悠然とのりこんできた。なかなか立派な姿なのだが、一緒に乗っ てきた女性陣に頼まれて飲み物を買いにいってしまうところなどは、女性に優しいというか、たんなるアッシー君というか、である。

シロス島の姿を見ようと駆けだしていったおばさん達が、たったいま出てきたキャビンへの帰り方がわからず「部屋どっちですか」とたずねてくる。「お いおいおばちゃん、私ゃあんたの添乗員やないんやでぇ」と心中に舌打ちをしつつ、にっこり笑って「あちらじゃないんですか」と応える。「あら、向き変わっ たんやわぁ」の一言をもうひとりと交わしながら、おばはんは「すんません」も「ありがとう」も言わずに去っていった。思わず、エーゲ海の藻屑にしてやろう かという思いが頭をかすめる。しかし、ギリシャは一週間遅れのイースターである。殺生は控えることにしようと思いなおす。

相変わらず船はゆらゆらと揺れながら進む。昼飯どきではあるのだが、まともに食事をする気分にはなれない。「帰りは飛行機で正解やねぇ」と HIROKO、同感である。バナナビスケットとミネラルウォーターを買って、おやつ代わり。ちゃんとした昼食は、ミコノス島に着いてからにすることとしよ う。

「WELCOME TO TINOS」の文字が岸壁に見える。丘の上の教会、港に浮かぶヨット、「ミコノスハーバー」の絵のイメージにだいぶ近づいてきた。ミコノスまで途中に寄る 島はシロス、ティロスの二つだけ、いよいよマックナイトの描いた島ミコノスに迫る。

エーゲ 海クルーズというと船旅を楽しむという印象だが、船が走っている時には一面が「海と空」だけ。島の近くにくれば景色も楽しめるが、島と島の間ではただひた すら「うみ〜〜っ!」と「そらぁ〜〜っ!」だけの景色である。

最初は「ほおら、エーゲ海よお」っと感動したものだが、何時間も続くとさすがに飽きてくるものだ。世界一周のクルージングツアーなどは、いったいど れだけのイベントを企画しているのだろうかと余計な心配をしてしまう。

ちょっとお手洗い、と言って出ていったHIROKOがなかなか帰ってこない。なにやら「そお〜ぉなんですかあ」というHIROKOの声が聞こえたよ うな気がしたが、こっちはうとうとと居眠り中。同じ船の中だし花嫁が逃げる心配もないので、引き続き惰眠をむさぼることにする。

しばらくして戻ってきたHIROKOが言うには、向かいのキャビンの日本人の団体さんが、なんと和歌山からのツアー客。それもHIROKOと同じ紀 伊田辺市在住、ライオンズクラブの10周年パーティーで一緒になったことがあるそうな。

「田辺?、湊?」
「はぁい」
「名前は?」
「久保ですけどぉ」(このあたり、まだ新木の姓に慣れていない・・・・・・・ )
「新庄の?」
「へぇ?、は、はあい」
「ほな、こっちおいでやあ。みんな田辺やねん、旦那さんも呼んであげぇ」

ということで、さっきの不躾なおばはんの旦那さんがライオンズクラブの会員で、HIROKOのお父さんとは顔見知り。やはり、ライオンズクラブの十 周年パーティーに旦那さんといっしょに出席していたそうな。

「あん時、建築屋の奥さんがえらいビール飲んではったでしょお」
「あぁ、そおそお」

かくして、田辺市民の町内会的井戸端会議が盛り上がるうちに、船はミコノスに到着。船内放送でミコノス到着の知らせがあったのだが、添乗員まかせの 彼らにはどこ吹く風。ついには、たまりかねたパーサーに「ミコノ〜ス!」と急かされるまで、下船の支度をしようとはしなかったのだった。「海の藻屑」とい う言葉が再度頭の片隅をよぎった、午後二時のことである。

ホテル「イリオ・マリス」は港からほど近い。事前にもらったコピーに載っている写真はプールサイドに鉢植えの置かれた素敵なデザインだったが、実物 はどんなものだろうかと楽しみにしながら、砂ぼこり舞う道をゆられて行く。お出迎えのワゴンで坂道を走ることものの五分少々、イリオ・マリス着。

どの家も白をベースに、青や赤で窓や扉を塗っているのがこの島の景観だが、このホテルも例外ではない。真っ白でまぶしいくらいの壁に、真っ青なドア と窓。年に三回はペンキを塗りなおすだけのことはある。島中の家はこのペンキの塗り替えを義務づけられているそうで、観光地として地中海のイメージをそこ なわないための努力をかかさない。部屋から港が見えにくいのがちょっと難点だが、リゾートムードはまずまずである。

部屋に荷物を置いて、まずは昼食。船の中ではとうてい食事などという気分ではなかったので、島の散策の途中でどこかのレストランに立ち寄ることに決 める。街中は道がとても入り組んでいて迷路のようだ。地図もあるのだが、細かい道がいっぱいあるのでいちいち地図を見て道を確認するよりも、だいたい海の 方向、だいたい山の方向、という感覚で歩いた方がいいかもしれない。とにかく港の方に下れば繁華街なのだから。

それにしても風と陽射しがとても強い。また、その強い陽射しが真っ白な壁に反射するものだから、まぶしくてしかたない。瞳の色の濃いアジア人種はま だしも、欧米人にはサングラスなしではたまらないだろう。

港の方にあるいくつかのレストランの中から、適当に選んで遅い昼食。港町なのでシーフードにしてみる。タコのオリーブオイル漬け、シーフードピザ、 シーフードのフライ。お酒はギリシャの地酒ウゾ、水と混ぜると白濁するのがおもしろいが、HIROKOの味覚には合わなかった。たしかに独特のくさみが あって、私も好んで飲む酒ではない。

ウゾを除けば、料理は素材が新鮮でおいしい。ほんの目とはなの先の港で取れたものを料理するのだから、余計な小細工をせずに食べればうまいに決まっ ている。ギリシャというとオリーブオイルを大量にかけるんじゃないかと心配していたが、わりとあっさりと仕上がっている。海に囲まれた国に暮らす日本人と は味覚があうのかもしれない。

白い壁にかわいい看板の店が並び、どの路地も絶好の被写体になる。今日のところは船旅で疲れていることもあって、二時間ばかりの散策でホテルに引き 上げ。本格的な島の散策は明日からだ。

<1993/4/19>

ミコノス島のホテル、イリオ・マリスでの朝は、今までのこの旅の中でいちばんゆったり。いままで、やれ6:30だとか、5:40だとかに、起きてい たことを考えると、本当にリゾート地の朝らしくゆっくり眠れた。今日は終日フリーデイ、明日もアテネにもどる飛行機が22:00発なので終日フリーのよう なもの。リゾートの旅はかくあるべしである。

地中海の島がいくつかあるなかで、今回の旅行にミコノス島を選んだのは、青い海に白い壁の家々を持つ島を見たいことがひとつ。もうひとつは、私の 持っているマックナイトのシルクスクリーンの中の一枚に「ミコノスハーバー」という作品があって、それの描かれた現場をこの目で見てみたかったからだ。ミ コノスの湾をみおろす構図で、青い地中海の海と四つのウインドミル、画面左から真ん中にカーブを描いてのびるミコノス港の突堤。これと同じ景色をミコノス の島にみつけよう、というわけである。

船が到着するのは、ちょうど絵の題材になっているミコノスの港だし、ホテルも港からほど近い。歩いて近くの丘に登ってみれば、マックナイトが見たミ コノスハーバーの景色を目にすることが出来るだろう。

朝食は8:00〜10:30の間。9:00過ぎまで部屋でごろごろしてから、10:00頃にようやく食堂に降りていって食事にかかるが、まだまだ ゆっくり食べている客も多い。トースターでパンを焼いて持ってきてくれるサービス。ホテルというより民宿かペンションといったノリである。夏はビーチがに ぎわう土地柄だから、海水浴客相手の海辺の民宿といったほうがぴったりくる。イースターの時期にあたるからだろう、表面をどぎついピンクに塗ったゆで卵が 置いてある。縁起物かなぁと思い、とりあえずひとつ取ってみる。あとは、コーヒー、フレッシュオレンジジュース、チーズ、クッキー、ハム。かごに盛った林 檎が置いてある。

マックナイトの絵の風景を探す前に銀行と郵便局へ行く。観光地の銀行だけあって、持って来た自国通貨をドラクマに替える人が列をなしている。郵便局 では日本の友達宛に葉書投函。せっかく出すのだから、やっぱり地中海の島の消印付きの方がご利益があるような気がするが、きっと自分達のほうが葉書より先 に帰国するのだろうな。

さて、ミコノスハーバーの写真を持って出発。ホテルの裏から小高い丘に続く道を登って行く。狭い島なので道は坂ばかり、しかもアスファルトで舗装な どという無粋なことはしていないから、砂ぼこりだらけだ。バイクがいかにも重たそうな音を立てて登って行き、荷物を運ぶのもリヤカーにバイクを付けたも の。そういえば田舎でこんなのが走っているのを見たな、と思い出す。その横でロバに野菜をつんで港の方に売りにいく人とすれ違う。

風は今日も強い。高台で港の写真を撮ろうとすると風で身体がふらつくくらいだ。撮ったビデオの映像は、さぞや風音でゴオゴオいってることだろう。

港を見下ろす風景は、ほぼマックナイトの絵に似ているのだが、そっくりというわけにはいかないようだ。まったく見たままを版画にしたのではなく、ミ コノスの島の雰囲気を伝えられるようにアレンジしているのだろうと納得。それでも、白い家々、ゆるく湾曲して伸びる突堤、港のそばに並ぶウインドミル。こ れを見るために新婚旅行先にギリシャを選んだのだから、感慨もひとしおである。しばしぼ〜〜っと眺めに見入る。港からは我々の乗って来たNAIAS−2が ピアレスへと出て行く。汽笛がなって、船がゆっくり滑っていくのをずぅっと見守る。

ミコノスハーバーを見える丘で二、三時間すごして港へ。今日も遅めの昼食だ。

ロブスターサラダ、ムサカ、スブラギ、パンにレツィーナというワインを飲む。ムサカはジャガイモとひき肉をナスでサンドイッチにした焼き物、スブラ ギは羊肉のシシカバブといったところだ。いずれもギリシャのガイドブックには必ず乗っている定番料理である。レツィーナワインは出原さんのお薦めのワイン で、マツヤニで香りをつけた、ちょっとキツい味の白ワインだ。フェタというヤギのチーズはくさみが強く、 HIROKO の口には合わなかったようだが、私はけっこう気にいった。デザートはバクラバ、蜜がたっぷりかかった焼き菓子。とにかく甘い。

目と舌を満足させて、今日の予定は完了。途中でパンとミネラルウォーターを買って帰って、夕食は軽くすませる。途中で帽子を買ってかぶったが、陽射 しが強く、耳、鼻のあたま、腕などがすっかり日焼けしている。よく歩いたので、風呂に入って10時には就寝。健全である。

ガイドブックにもよるが、200〜400もの教会がある。東西10キロ、南北5キロ程度の小さな島だが、ものの50メートルも歩かないうちに次々と 教会にでくわす。一家にひとつとまでは言わないが、町内に二つ、三つは教会がある。これだけの数があるのだから、そんなに大きな建物ではなく、中は20畳 かそこらの広さしかないものが殆どで、造りもいたって簡素だが、さぞや信仰心の篤い島なのだろうなと思わせる。

そんな中でも名高いのが「パラポルティアニ教会」というミコノスの港にほど近い教会。四つの部屋はそれぞれが正確に東西南北をむいており、教会の外 観も美しい。教会をあしらったミコノスの絵葉書には、必ず登場する定番である。

島自体には格別の観光名所があるわけではないが、いわゆるエーゲ海にたいして抱くイメージそのままの島である。青い海、白い壁の家、さんさんと明る い太陽、これらのものが丸ごとワンセットになってこの島にはある。ちょうど花の咲き始める頃で、特に植えているというのではないのに、野生の小さな花が赤 や黄色に咲きほこっている。

教会と並ぶ島のもうひとつのシンボルが、ウインド・ミル。

マックナイトの絵にも、四基のウインドミルが描かれている。実際の粉引きには使われておらず、もっぱら観光用らしい。カト・ミリの丘というところに 並んで立っている風車の姿は、ミコノス湾のビューポイントである。ちょうどエーゲ海に沈む夕日をバックにして、このウインドミルを見ることができた。次第 に真っ赤に染まってゆくエーゲの海をバックに、シルエットに浮かぶウインドミルの絵はなかなか素晴らしい。赤く染まったエーゲ海を小舟が一漕進んで行く姿 に、二人してしばし見入ってしまった。

ロマンチック気分にひたりたい人には、もってこいの島である。

<1993/4/20>

ミコノス島最終日。白い壁、赤や青でカラフルに彩られた家々、紺碧の海とも今日でおわかれである。アテネへ戻る飛行機は22:20発、空港までのお 出迎えの車が21:00に来る。荷作りをしたスーツケースはフロントに預けて、島の散策に出る。港の喫茶店でジュースとサンドイッチの軽い昼食。チキンサ ンドとベーコンサンド、いずれもゴマのたくさんついたホットドッグ風の仕上げ。オレンジジュースはここでもフレッシュだ。

今日は海岸線を歩く。港のすぐそばでは、とれとれのタコをぶつ切りにして鉄板の上で焼いていたり、大きなかごにいっぱいのウニをかかえた漁師が通り 過ぎていく。

相変わらず陽射しは強いが、風はそれほどでもない。海岸線の道もアスファルト舗装などはされていなくて、たまぁ〜に通る車が砂ぼこりをたてて走り去 る。港から遠ざかる程にしだいに上り坂になっているので、15分くらい歩くとけっこう切り立った崖から海を覗きこむ感じになる。

道上から見下ろすエーゲの海はあくまで透き通って、崖には色とりどりの花が肩を寄せあって咲き乱れている。アテネに着いた時にガイドの出原さんが 「花のきれいな季節ですよ」と言っていたが正にそのとおり。一つ一つはそんなに大振りな花でもないのだが、集まって咲く姿が美しい。 HIROKO が海を覗きこむようにしてカメラを構えて撮っている。

かれこれ一時間ちかくも歩いたろうか、海岸の近くに小さなホテルがいくつか集まったところについた。このあたりは海岸線も砂浜になっていて遠浅なの だろう、家族連れが海水浴を楽しんでいる。大阪の感覚だと、いくらなんでも4月に泳ぐなんてというところだが、日中の陽射しの強い時間帯だったら冷たい海 の水も心地好いのかもしれない。

波打ち際近くのちょっとした岩場に荷物を置いて休憩、海からの風が心地好い。ただちょっとばかり波打ち際に近すぎたようで、買ったばかりショルダー にしぶきがかかって、しっかりと水玉模様になってしまったのがくやまれる。買った時に、ちゃんと防水スプレーをしておけばよかったと後悔しきりである。ま あ、でもあの時には鞄を買った店にも防水スプレーは売っていなかったことだし、いたしかたあるまい。「GENUINE LEATHER 」の証明ということにしておくか。

港まで戻って、ミコノスタウン内を散策、エーゲ海最後の日の夕食の店を物色する。「ラ・スカラ」という店に決定。18:00頃でまだ時間が早かった のか客はほとんどおらず、好きな席を選べる。階段を上がったばかりのベランダのテーブルに決めた。この店も隣の店も、店内だけでなく外にもテーブルを並べ ているので、天気の良い日だったら外で景色を眺めながら食べるに限る。

港の近くのレストランには、なぜかペリカンが住み着いている。名前もついていて「ペドロ」という。どのレストランが飼っているというわけでもないの だが、人間を怖れずに近寄ってくる。また観光客が自分の食べている料理を与えたりするものだから、ペドロの方も居心地が良く、すっかり居座っているという しだい。いまでは島の観光名物になっていて「ペドロ物語」という本まで売られている。ちなみに今のペドロ君は三代目なんだそうだ。

さて、そのペドロ君がうろうろする姿を見下ろしながら夕食とする。ラ・スカラのマダムはえらく愛想の良いおばさんで、ピッチリとしたレオタード風の 服で仕事をしている。料理はシーフードミックス、タラモサラダ、白ワインを注文した。最初はワインで乾杯、

といきたいところだったが、マダムはワインオープナーを持って来たまま奥へ引っ込んでしまった。ギリシャにかぎらずワインのコルクは店の人が開けて くれるもんだよなぁと話しつつ、使いなれた道具だからと自ら開け始めた途端、

「ノン、ノン、ノン、ノノ、ノォォオ」と言いつつ、マダムが慌ててやってきて「イッツマイワーク」とばかりに私の手からワインボトルとオープナーを うばいとって、コルクを開けてくれた。単に忘れていただけらしい。

このマダム、なにかにつけてオーバーアクションな人で、 HIROKO が食後に「MayI have a cup of coffee ?」と注文すると、背の高い身体をおるようにしてかがみこみ、 HIROKO の顔を覗きこむようにニッコリ笑った後で「おぉふこおぉ〜〜す」と応えてくれる。

そんなアクションがべらぼ〜にオーバーなので、二人して「あの人はきっとタカラヅカかなんかの出身で、だから身振りもおおげさだしレオタード着てる んやわ」と納得しあった。

陽気なマダムのおかげで夕食を楽しんだ後、一旦ホテル・イリオマリスに戻る。

迎えは21:00、ほぼ時間通りにマイクロバスが到着。帰りは船ではなく飛行機なので、島の中央のミコノス空港へと向かう。空港といってもさして大 きなものではなく、ロビーもローマでのった市内観光バスの乗り場くらいのものだ。オリンピック航空の専用らしい。

飛行機自体も60人くらい乗ったらいっぱいの大きさ、乗り合いバスの感覚だ。操縦席への扉もあけっぱなしで、前の席に座ってた女性は水平飛行に入っ た直後に操縦席へ入って行って、そのまま着陸直前まで帰ってこなかった。あれじゃあ、ハイジャックなんてやりたい放題である。来る時は何時間も船にゆられ たアテネ〜ミコノス間も、飛行機だとほんの一時間弱、23:00すぎにアテネ空港着。ロビーで迎えのタクシーを待つ。

が、いつまで経ってもその迎えがやってこない。飛行機が予定より早くついたこともあるのだが、時間だけがどんどん経っていって不安がつのるばかり。 ついにしびれを切らして、ツアー会社の事務所に電話をいれるが誰もでない。もっとも夜の11時をまわっているのだから、しかたないのか。

あきらめて、タクシーを拾ってホテルに行こうかとしたころに、ようやく迎えのタクシーが到着。どうももうひとつの空港に行っていたようだ。アテネの 空港はエリニコン空港というのだが、東西二つの空港がある。東は一般の国際線空港なのだが、西はオリンピック航空専用。どうも東の空港に行っていたらし い。おかげで、ホテルにチェックインできたのは午前0時になっていた。

ホテルは前回と同じくグランド・ブルターニュだが、今度は一階の部屋。シャワーを浴びようとした HIROKO が出て来たので、どうしたのかと思ったらシャワーの温度がぜんぜん上がらないとのこと。なるほど、ぬるいお湯しか出ていない。髪が濡れたまんまで HIROKO がフロントにクレームの電話をいれている。さすがに英語力はたいしたもので、部屋を変えるように注文をしているのが、なんとなく聞き取れる。

電話をきった後で、早々に荷物をスーツケースにおしこむ。こっちはすっかり部屋を移るつもりである。

数分してボーイがやって来ていろいろと調整していたが、結局部屋を変えることになった。今度はお湯もちゃんと出るが、4/17に泊まった部屋とは 違ってドライヤーがない。ま、それは我慢するとしてもバスマットもないのはいただけない。この件にもクレームを付けたが、深夜のことなので準備できないと 押し切られてしまった。少々うっぷんをためたまま、それでも夜も遅いので早々に就寝。

とにかくこの日の夜は、悪いイベントがてんこ盛りであった。

<1993/4/21>

残すところギリシャ滞在もあと二日、今日・明日のアテネ観光で旅行も終わる。今日の午前中は「キーツアー」というアテネの名所巡りのバスツアーに乗 る。アテネの競技場、ミトロポレオス大聖堂、アクロポリスの丘、大統領官邸、オモニア広場などをまわる。

大統領官邸前では、独特の衣装をまとった衛兵の姿を見ることができる。ロンドンでの衛兵交代の儀式が有名だが、ほぼあのノリと思えばまちがいない。 向かい合った二人の衛兵が、安全靴のような形の先のふくらんだ靴を履いた足を大きく振って、官邸前の石の歩道をこするようにして歩く。靴の裏には鋲がうち つけられており、いつも同じところを踏むせいか一列分の敷石がこすれて白く色が変わっている。

ミトロポレオス大聖堂はプラカ地区の中にある。4/17に来た時には前を通っただけだったが、今日は中も見学できる。ガイドのおばさんの話だと、ギ リシア正教の聖堂なんだそうで、他に類を見ない立派なものらしい。たしかに建物はたいしたものだとは思うが、いかんせんクリスチャンでもなんでもないので 感動はイマイチ薄い。

アクロポリスの丘は、その名も知れたパルテノン神殿のあるところ。バスは丘のふもとにとまり、階段を10分少々登っていく。おそらくはギリシアと聞 いて、まっさきにイメージするところだろう。ただ残念だったのは、アテネ全体がオリンピックに向けて大修理の最中で、アクロポリスの丘の建物もほとんど全 てが工事用の足場に囲われていたこと。町の中でも地下鉄の工事中で見物できないところも多い。

アクロポリスの丘ではガイドの説明にも熱が入る。母国ギリシアを誇りに思う気持ちがひしひしと伝わる。自分が誰かに日本を案内するとしたら、もう少 しはにかみ加減に話すだろう。

アクロポリスというのはアクロ=高いところ、ポリス=都市ということなんだそうで、他の都市よりは一歩高いところにあって、他を睥睨する立場にある。まあ言ってみれば中華思想の様なものか。「おれが一番」という発想だ。

パルテノンを始めとするアクロポリスの建物と博物館を見学して、アテネ観光のハイライトを終える。午後からはプラカでお買い物だ。

プラカを歩き回って少しずつ買いそろえて行く。義理としがらみ関係の皆さんへの十把ひとからげのお土産を探すには、プラカという所はもってこいであ る。400円から500円といったべらぼ〜に安い価格で、ポシェットやら財布やらを買い込む、あとは定番のTシャツ。ギリシア名物の海綿というのも考えた が、やたら嵩張るわりにはウケそうにないので却下。

そのほか、家族向けのお土産と自分達の使う物、次々と買うものがあって、ホテルとプラカを行ったり来たりだ。特に最初にショルダーを買った店には、二度三度と足を運んで、セカンドバッグを買ったり、財布を買ったりで、すっかりお馴染みさんになってしまい、キーホルダーまでもらう始末である。

ともあれお土産を買うというお勤めを無事果たし、今日の予定を終了。旅行の疲れがたまっているようで、私は体調を崩してしまい、そうそうにホテルに引き上げて休養。明日は博物館見学である。

<1993/4/22>

新婚旅行最終日。胃グスリを飲んで寝たので朝からはなんとか復活。この旅行のなかでは胃腸に負担がかかることが多かったのか、胃腸薬が一番活躍し た。最終日の今日は終日フリーデイ。とはいっても明日の朝は5:30にホテルでピックアップというスケジュールなので、今夜のうちに荷作りをちゃんと終え て、早寝しないと体がもたない。

さて、今日の予定は国立考古学博物館である。ホテルからだと、パナピスティミウ通り、パティシオン通りを歩いて20分くらい。博物館にいくだけが目 的だったらバスかタクシーを使うところだが、途中で靴を買うつもりなので店の並ぶパナピスティミウ通りを歩く。

パナピスティミウ通りは科学アカデミー、アテネ大学、国立図書館がならぶ通り。パナピスティミウというのは大学を意味するそうだ。アカデミーの前庭 には、ソクラテスとプラトンの像があり、建物の屋上のイオニア風の柱の上には、向かって右に竪琴をもったアポロン、左には剣と盾を持ったアテナの像が立 つ。国立図書館は入り口の左右にカーブした階段をもつ優美な建物なのだが、やたらとハトが多くて汚れている。

靴屋のウインドウを物色しながら歩く、いろいろ迷ったあげくにとりあえず履いてみることにする。中に入ると店内には一切靴の展示がない。国内の靴屋 だったら店内いっぱいに靴が並んでいるところだが、お国柄の差なんだろうか。表のウインドウで見て、中では試着するだけらしい。通勤用と普段履くのと二足 を買う。これで、下駄箱の中でも多少なりとも私の靴の存在感が出てくるだろう。それでも、4対1くらいで HIROKO の靴の方が幅をきかせている。

目的地の国立考古学博物館は、広い前庭を持った建物。入って右側にチケット売り場があり、カタコトの日本語で挨拶してくれる。左側には手荷物預かり 所 があり、余計な物は預けてしまってゆっくりと見てまわれる。写真撮影もOKなので、カメラ片手に展示室に入る。海外の美術館というのは、どこでも撮影OK なんだろうか。かつて行ったシカゴの近代美術館も写真撮りほうだいで、モネやルノワールの原画の写真を撮ったなと思う。

展示室は全部で56室。どうあがいたって一日で見てまわれる量ではない。世界史の教科書でみただけの作品を生で見ることができるのは、なかなか感動 ものである。こういうのを見てから歴史のお勉強をすれば、もっと興味も持てるのだろうになぁ。ポセイドン、アテナ、アポロン、パンなど、筋肉の緊張してい るところと、 リラックスしているところが実にリアル。馬に乗った少年のブロンズ像は、特に躍動感いっぱい。アルカイック・スマイルの像からウルトラマンを思い出すの は、 ちょっと不謹慎かな。さすがに後半はちょっと食傷気味だったが、とにかく圧倒的なボリュームで、一つの国によくもこれだけの文化遺産が残っている物だと感 心させられた。

あとはプラカで最後のお買い物をして、予定はすべて終了。夕食はミトロポレオス大聖堂近くの店でサンドイッチ、私はビール、 HIROKO はチンザノを飲む。明日は4:30には起きなきゃならない。豆腐屋の朝とまではいわないが、パン屋の朝くらいには匹敵するのではないだろうか。帰りの飛行 機と日本で空港に着いてからすぐにいるものを除いてパッキングを終え就寝。21:00。

<1993/4/23>

朝5:30にピックアップ、起床はなんと4:30。ほとんど魚河岸の買い出しの時刻である。毎朝3時に営業を開始する、早起きの鰻屋「大巳」の鰻は 売り切れているかもしれないが、新聞少年のアルバイトくらいは勤まるかもしれないという時間だ。

アテネの空港やピレウスの港とホテルの移動で、何度となくお世話になったタクシーが今日もお出迎え、「カリメーラ(グッドモーニング)」とご挨拶で ある。ギリシャ滞在期間中に覚えたのは、「カリメーラ、カリスペーラ、カリニフタ」のみっつだけ。それぞれ「グッドモーニング、グッドアフタヌーン、グッ ドナイト」である。

アテネ・エリニコン東空港を7:30テイクオフで、ローマ着は8:30。オレンジジュース、クッキー、紅茶、ピーナッツを買って、残ったドラクマを 使い切る。残しておいても日本円には両替できないのは何故なんだろう。空港でローマからの帰りのアリタリア航空は12:30発なので、かなりの余裕。 デューティーフリーを物色する。

アリタリア1782便は超満員。立錐の余地のないくらい乗客がつまっている。特にわれわれの乗った51A、B席より後ろは、ほとんどの席を日本人観光客の団体が占拠している。アリタリア航空と日本航空の共同運行便ということで、日本人スチュワーデスも三名乗務、なんとなく安心気分である。ローマ・レ オナルドダビンチ空港を12:30発。13:15には、ミラノ・マルペンサ空港到着。50分のメンテナンス作業後に成田へ向かう。出発予定は14:05、乗務員はここで全員交代ということ。

マルペンサ空港到着後一時間経過、機長のアナウンスがはいる。イタリア語、英語、日本語の順番なのだが、イタリア語のアナウンスの中で「プロプレムがど〜のこ〜の」という言葉。それが英語アナウンスでは「due to the technical reason」になり、日本語では「機体整備のため」という表現になる。とにかく機内で二十分ばかり待て、というアナウンス。

十分経過。結局飛行機を降りて空港ロビーで待つことになる。紫色のトランジットチケットをもらって、空港ロビーへ。ここぞとばかりにデューティーフリーで買い物をする人々もあったりして、皆けっこう図太い。スチュワーデスに聞いても「私たちにも情報が入らないんですよぉ」というばかりで、客も乗務員 も不安顔である。

7番ゲート付近は、アリタリア1782便に乗ってきた人々で満員である。15:45発の予定が16:35発に延びて、みな不満顔でいっぱい。マルペンサは小さな空港なので、代わりにちょっと近くの飛行機を使うというわけにもいかないし、隣の空港から代替機をもってくるにも時間がかかりすぎることだろう。 とすればローマから乗ってきた機体のメンテナンスの終了を待つばかり。

こんなに待ち時間が長いのだったら、ちょっとジュースかコーヒーを飲んで時間つぶしをしたい所だが、いかんせんリラは小銭まで使い切ってしまったし、円で払うわけにもいかない。なにより困ったのはトイレで、日本では珍しい有料トイレもここでは当たり前。入り口にイスを置いて、おばさんが待ち構えて いる。結局思い切って、わずかに残っていたドラクマを50円分くらいわたすと「ぐら〜っちぇ」といって入れてくれた。なるほど、ヨーロッパではいろんな国 の人々が行き来するのだから、通貨もどこのでも通じるものなのかと納得。

アナウンスが流れる度に、今度こそアリタリア1782便の情報かとロビーに緊張感が走る。結局待つこと三時間、やっと搭乗のアナウンスが流れた。こんなに待たせるのだったら、ちょっとくらい空港の外に出させてくれたらミラノ見物ができたのに。

ともあれ12時間のフライトで、やっと成田到着。帰りの飛行機のなかでは、機内のブランド物販売にも走ることなく、ひたすら休息タイムとした。成田に着いたのは4/24の12:00、本来だったら朝一番に到着するはずのところだ。荷物を宅配便で送るてはずを整えてから、羽田に移動するためのエアポー トリムジンに乗る。

伊丹着は夕方の16:15。バスで梅田まで戻った所で、お寿司で夕食。日本に帰って来たら日本食を食べる、なんてのはすっかり定番のパターンだと思っていたら、自分がそんな行動をとっているのはいささか滑稽でもある。

まわった国はイタリア、ギリシャのふたつだけ、ゆったりとしたスケジュールでフリーデイを十分にとった旅行だったが、やはり帰りつくころには疲れも溜まっている。私にとっては仕事で行ったシカゴ以来、五年ぶり二回目の海外旅行。何よりもミコノスの島が印象に残っている。ヨーロッパというと、ロンドン、パリ、デュッセルドルフなんてのが定番コースであるけど、それはまた次の機会で結婚何周年かでいくことにしよう。ギリシャを選んだのは大正解だった。 エーゲの海には、またいつか訪れてみたい。

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