ヒージャーとアバサーの沖縄:1999/11/21〜11/23

1999/11/21(日)

大阪はここ一週間ぐらい晩秋から初冬になったような気候。長袖のシャツに、いつものニフティの赤いジャンパーで一路空港へ。JRで京橋〜大阪、阪急に乗り換えて蛍池、そこからモノレールで伊丹空港。このコースが一番早いし、安い。とはいってもモノレールは、一駅だけで¥190もとられる。阪急で梅田から蛍池が¥220なのを考えると、いかにも割高だ。空港着は10:30。集合時刻にはまだ間があるので、新しくオープンしたという展望デッキ「ラ・ソーラ」を見物する。飛行機が間近に見られるし、離着陸する姿を滑走路横から見ることもできる。子供連れで見物にくるにはいいかもしれない。

伊丹からの飛行は順調で、予定通りの時刻に那覇空港着。空港に降りたとたんに、陽射しの強さと気温の高さを感じる。たった2時間の移動だが、日本列島が南北に長いのを実感。ここからは、バスで残波岬ロイヤルホテルへ移動、約1時間の行程だ。16:00頃にホテル着き、チェックインをすませる。ダブルの部屋にエクストラベッドを二つ入れて4人で使用するのだが、そんなに狭さは感じない。全室オーシャンビューだし、リゾート地らしくゆったりと造られている。18:30からの宴会にはまだ間があるので、まずは明日の那覇への移動手段をフロントで確認する。ホテル前から路線バスが出ていて、約1時間半で那覇のバスターミナルにつくそうだ。11:00に国際通りの「わしたショップ」で待ち合わせなので、始発の9:15のバスに乗ることにする。読谷のバスターミナルまで行けば、午前6:00ぐらいから20分おきに那覇行きのバスがあるとのこと。ホテルから読谷ターミナルまではタクシーでもワンメーターらしい。帰りは日付変更線をまわるのだろうからタクシーを使う予定。片道8,000円見当なので、深夜割り増しを考えると1万円ぐらいか。いささか痛い出費になりそうだが、いたしかたない。

部屋に戻って、大相撲・九州場所で武蔵丸が勝ったのをTVで観てから入浴。大浴場・露天風呂・大宴会場などを備えたこのホテルは、リゾートホテルといいながら、昔ながらの団体旅行向けの色彩が強い。建物も年季が入った様子。われわれ以外には、修学旅行の生徒が多数泊まっている。3年前に泊まった日航アリビラだと、大浴場じゃなくって、水着で入るジャグジー温水プールが付いていた。宴会のあとは早々に就寝。22日の沖縄すば屋のハシゴ〜泡盛と豆腐ようの買い出し〜ヒージャー料理〜泡盛酒宴に備える。

1999/11/22(月)
旅行のときはたいてい、朝食のご飯を2〜3杯食べるのだが、今日はいろいろと食べまくる予定なので一膳だけにしておく。食事を早々に済ませ、同部屋のメンバーがくつろいでいるのを横目に、身支度にかかる。すば屋につきあってくれる、K氏、W氏へのおみやげ、デジカメ、フロントでもらった沖縄と那覇の観光地図をそろえて、準備万端。同部屋のメンバーに「帰りは日付が変わる」と言い残して、ホテル前のバス停から乗車。ここでは客は自分一人である。那覇までの料金は¥1,050。国道58号線を南下する途中、両サイドは米軍基地のフェンスが続く。何か面白い絵が写らないかと、窓際にデジカメを置いてシャッターを押しまくったが、ぶれた写真だらけでロクなのがなかった。でも480枚も撮れるのでフィルム残量を気にせずに撮りまくって、要らないのは消すというのができるのがデジカメのいい点。32MBのコンパクトフラッシュを買っておいて良かったと実感する。

郊外を走っているうちは順調走行だったが、那覇市内に入ると車も増えてなかなか進まない。そのうえパレット久茂地の前で降りる予定が、バス停がわからずに終点の那覇バスターミナルまで行ってしまった。県庁北口というバス停で降りるのが最寄りらしいと気づいたのは、国際通りを歩いて戻ってきてから。県庁前の交差点を渡っているときに、K氏から携帯に着信、J-PHONEは沖縄でもちゃんと役に立っている。家を出るのが少し遅れるとのことだが、こっちも遅刻状態だったのでホッとする。

わしたショップの2F、待ち合わせ場所の泡盛売り場は、時刻が早いせいか客の姿もなし。待ち合わせにはもってこいだ驛{トルが何種類もあることで嬉しくなる。ただ全部飲んでいたのではここだけで酔っ払いになりそうなので、香りをかぐだけで自重する。10年物までは香りもそんなに強くないが、10年を超えるあたりから独特のくせがつくような気がする。日本酒でいう古酒に似た印象だ。購入はディスカウントの「さかいや」か「アルテック」と決めているので、度数の高いのと、年数の古いものを重点的にチェックする。

そうこうするうちにK氏到着、奥様も同行である。まずは泡盛コーナーで、色々と教えていただく。久米仙には、「久米仙」と「久米島の久米仙」があるとか、モンゴル産の泡盛があるとか、内地で作っている泡盛は「本格泡盛」でなく「泡盛」とだけ表示があるとか、etc.etc.。K氏がW氏に連絡している間に、1Fで奥さんから豆腐ようを解説してもらう。メーカーは四つ、辛口のは唐辛子入り、よく見知っていたのは赤いタレがかかっている写真だが白いのもある。元々は宮廷料理で、一時期は途絶えていたのを戦後復活させたので、民間で食すようになった歴史はけっこう浅いとのこと。小さい瓶に1個入りの豆腐ようがあったので、大阪の飲んべ達へのおみやげはこれにしようと考える。自分用のは、当然もっと大きな5個入りのにするつもりだ。

そうこうする内にW氏到着。店の前に車を停めているそうなので、挨拶もそこそこにとりあえず乗りこむ。職住接近の生活で普段は運転しないとのことだが、K氏もここ5年ぐらい運転していないというし、私にいたっては免許も取っていない始末なので、W運転手に命運を託すことにする。今日の第一番目の目的は「首里そば」。そば屋は月曜定休のところが多いので、MLでいろいろ教えてもらった店で開いているのは「首里そば」ぐらい。「御殿山」「てんtoてん」 などは次回のお楽しみということである。W氏の安全運転で、無事「首里そば」到着。店の見た目はただの民家で、知らなければ前を通っても店とは気がつかな い。店の前の駐車場は車を4台も置けばいっぱいだが、となりに駐車スペースがあってこっちに車を入れる。駐車料金は¥200。

メニューは、首里そばの大・中・小、煮込み、おにぎり、冷やしぜんざい。5年前の食欲だったら、すば大とおにぎり、煮込み、デザートにぜんざい、とフルコースいくところだが、2軒目もあることだし、すばの中だけにしておく。しばし待つうちに出てきた首里すばは、澄んだスープが印象的なのと、紅生姜ではなく白い生姜が乗っているのが珍しい。色取りからすると紅生姜の方がいいのだろうが、白い生姜の方がすっきりした味になる。とんこつをベースにした出汁というと、九州のラーメンの白濁したスープを思い浮かべるが、沖縄すばのスープは透明。首里そばのは、特に透き通っている。沖縄で豚肉の消費量が多いのは良く知られているが、出汁に使う干した昆布、鰹節、煮干の消費量も日本一とのこと。豚肉食以外に出汁を使う文化も古くから発達しているようだ。

食後、次の一軒を物色する。月曜でも開いている店をチェックし、那覇でのお買い物にも近い「月桃」に決める。次はお買い物、泡盛と豆腐ようの買出しである。西武オリオンホテル裏の「さかいや」近くまでW氏に送ってもらって、いったんはここでお別れ、後で「さかえ」でヒージャーを前に再会する予定だ。

「さかいや」では、「どなん」の60度(¥1,780)、「舞富名」の60度(¥2,850)、「海乃邦」の22年(¥4,390)、モンゴル産泡盛「響天」の30度(¥495)の4種類を購入。度数の高いの、年数の長いのという、清水一商店のアドバイスの結果である。これでお買い物は半分完了。次は腹ごなしを兼ねて公設市場をうろうろ、縦横いりくんだ市場の中を、迷路を楽しむかのように案内してくれるのは、K夫婦の本領発揮である。

豚肉はとにかく安い、県内産の100グラム100円見当ってのも安いが、デンマーク産というのもあってこっちは87円。てびちだの、豚の顔だの、中身だの・・・・・・とにかく豚肉だらけ。黒毛和牛など、大阪の市場だったら陳列の真中にえらそうに鎮座ましましているところだが、ここでは隅のほうに申し訳なさそうに座っている。肉をぶった切る(単に切るなどというなまやさしいモンじゃない)ナタみたいな包丁と、木の切り株のようなまな板を使いこなして、おね〜さん方が、ドンッ、バンッ、と肉を叩き切る。ちょっと間違えば、指どころか腕の一本も落とされそうだ。

魚屋の店頭で、3年前の訪沖時に食べ逃したアバサーにお目にかかる。皮を剥いておいてあるところは、たしかにてっちりのフグと何ら変わりない。ここで買って市場の上に持っていくと、そこで調理して食べさせてくれるそうな。調理代は1人あたり¥500。品数がいくつあっても¥500なのだそうで、いわゆるテーブルチャージのようなシステムなのだろうか。この前たべそこねたのはアバサー汁だったが、魚屋のおね〜さんのお薦めは唐揚げとのこと。半分は汁、 半分は唐揚げにしてもらうことにする。アバサー一尾は¥1,500也。

オリオンビールを飲みながら待つことしばし。唐揚げは白身の淡白な身で、香ばしく揚がってとてもおいしい。レモンではなくシークァーサーを絞って食す。汁のほうは味噌仕立て。アバサーの身だけだったら、ちょっと具が寂しいと思っていたら、豆腐とフーチバー(よもぎ)が入っている。フーチバーは臭みを消す目的でよく使われるようだが、ここではアバサーの身に臭みがあるわけでなく、におい消しというよりフーチバーの香り自体を楽しむのが目的のような気がする。

アバサーを制したあとは、市場内でサーターアンダギーを物色。大ぶりのタコ焼きぐらいの大きさに丸く揚げた、沖縄風ドーナッツだ。バナナやかぼちゃを混ぜ入れたり、黒糖や流行りの紅いもを混ぜたりと、いろんな種類がある。揚げたてを試食すると、とても幸せ。サータアンダギーをつまみぐいして、豆腐ようを探しに市場の中へ。奥田店長おすすめの「丸山」は惣菜やさんになっているが、豆腐ようも売っていたので、ここでも一つ買っておく。あとは、「わしたショップ」にもどって、さらに追加購入の予定。

次は、すば屋二軒目の「月桃」へタクシーで移動。お昼どきから外れているせいもあってか、店内は客の姿もなし。真中のテーブルに陣取って、そばの中を注文する。テーブルの上には、島とうがらし、紅生姜、それに沖縄には定番らしい赤と黄色に塗り分けられた箸。端の真中から上半分が赤、下半分が黄色の箸は、沖縄すば屋のシンボルのようだ。スープは透明だが、「首里そば」に比べるとちょっとだけ色が濃く、味も普段親しんでいる出汁の味に近づく。すっきり感は少々劣るものの、これはこれなりに美味しく食べられた。しかし、夏のようなこの季節にすばを食しているを、汗が流れてくる。

二軒のすば屋を征した後は、「謝花きっぱん店」で、K氏お薦めのお菓子「桔餅(きっぱん)」「冬瓜漬(とうがんづけ)」のお買い物。桔餅のほうは、沖縄産みかんの「クニブ」を絞り、タネを除いたあとの残りを刻んで砂糖と混ぜて乾かし、砂糖衣で包んだもの。大きさは違うが見た目は正露丸糖衣錠のようだ。冬瓜漬の方は、冬瓜を長方形に切って甘く煮て、表面に砂糖をまぶしたもの。どちらもお茶請けにもってこいだが、K家ではコーヒーのつまみにもするそうな。ウイスキーのアテにもマッチする。クニブ自体は皮も硬くジュースもすっぱいので、温州みかんのようにクニブ自体を食べることはないそうだ。絞った後のジュースをどうするのか聞いたら、ご希望の方には差し上げているとのこと。ちょっと飲ませてもらったら、酸味が強いもののけっこういける。ずうずうしうかと思ったが、ペットボトルに入れてもらって、持ちかえる。

かれこれ16:00をまわって、K夫妻とはここでお別れ。ヒージャー料理の「さかえ」に行くまでの間、まずは「わした」に戻って、飲んべ友達用のお土産の豆腐ようやら、自宅へのお土産などを買いととのえる。後はふたたび公設市場を見物したり、国際通りをぶらついて「古酒家」などを冷やかす。

陽がとっぷりと落ちた「パレットくもじ」前で、からくり時計の18:00を聞いた後、ぼちぼちと「さかえ」に移動にかかる。夜の国際通りはネオンサインもカラフルで、昼とはまた違った表情を見せている。国際通りの三越の少し東、牧志交番の角を曲がったところにあるのが「さかえ」。その前でデジカメを構えているところで、声をかけてくれたのがNさん。店の中を覗いていただくと、三畳ぐらいの部屋でRio、Wのお二人が、すでにさしつさされつ状態。挨拶もそこそこに、ビールで乾杯する。その後、ZAPさん、くんたさん、HALさんが到着して勢揃い。

やたらと威勢の良いおね〜さんが、じゃんじゃんとサービスのお皿を持ってくる。ご飯を持ってきて山羊炒めの汁をかけてくれたり、全員にサーターアンダギーとうっちん茶一缶土産にくれたり、なんだかんだでテーブルに並んだ皿のうち三分の一ぐらいはサービスだったような気が。山羊料理は刺身と炒め物。刺身には山羊玉なども注文してみたりする。山羊というと山羊乳チーズぐらいしか食べたことがないので、多少はにおいが気になるかと思っていたが、まったくクセがなく予想以上に食べやすい。山羊玉のふわふわほわほわ感は、何に似ているというか独特の食感である。泡盛は、メニューというか壁の短冊に10数種類書いてあるが、その中で一番度数の高いヤツ、「瑞泉」の43度をロックで飲む。冷やした方美味しく感じられるのだけど、氷が溶けて薄くなるのが惜しいとこ。飲み屋じゃないので、酒の飲ませ方にはそんなにこだわっていないようだ。おしむらくは、会話に盛りあがりすぎて、店を辞するころになってから山羊汁を食べ損ねたことに気づいたことぐらいか。

本日の最後は「天地」、たぶん22:30ぐらい?。お店のイメージとしては、間口が狭くて奥に長い「うなぎの寝床」風の店で、カウンターだけのとこかなと思ってたけど、予想とちょっと違ってスナック風。入り口付近のソファに陣どる。泡盛は三種類飲んだ気がするのだが、おぼろげに印象が残っているだけで名前は分からず。あとでメーリングリストで聞くと、1.結(ゆい)、2.瑞泉30度、3.久米島40度だったらしい。気にいったのは最後の「久米島」。 最初の「結」はバナナの香りがきつすぎ、瑞泉30度は「さかえ」で43度を飲んだ後だったせいか、あっさりしすぎの感だった。ここで意外だったのはzap!さんの三線、ちょうど私の向かいの席で弾いてくれたのだけど、三味線同様にフレットもないネックなのに、うまく音程を取るものだと感心しきり。マスターのJさんとも、もう少しお話できれば良かったのだけれど、歩き疲れと飲み疲れで、半眠状態。次回はもう少しシラフ状態でいって、ちゃんと飲み比べをしたいもの。

帰りのタクシーの中は熟睡状態で、ホテルについて運転手に起こされたのが25:30ころ。温泉宿なら24時間入れるのだろうが、すでに大浴場はクローズである。しかたないので寝静まった部屋にもどって、今日の戦利品を片付けて再び熟睡。長い一日だった。

1999/11/23(火)
最終日。といっても空港への移動途中に首里の城を見学するだけで、あとは午後からの飛行機で帰阪。前回の訪沖時には、首里城は閉門後で外からながめるだけだったが、今回は極彩色の破風もゆっくり見られた。建物の内装は朱色ベースで、全体に天井が低いつくり。国王の席もなにもかも派手な内装で、これも王の威厳を見せるためなのだろうか。ものの20分ぐらいでざっと見学して、酒器を一つ買っていると、もうバスの出発時間。あとは、12:20のANA494で大阪へ向かうばかりだ。ぐっすり眠って関空に着くと、小雨状態でひんやりとする。さっきまでTシャ一枚でいたのが嘘みたいだ。

パソ通の時代から距離を越えてのコミュニケーションはお手のものだったが、今回の旅行ではメーリングリストの情報がずいぶん役に立った。おかげで懸案だったアバサーと山羊を制覇できて満足な旅行だった。

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